STEREO CLUB TOKYO

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月食の夜

 ここ何年も皆既月食を見ていない。初めて月食を見たのは小学生の頃、大晦日の晩だったと思う。深夜に月が全部欠けるというので、寝ているところを夜中に、両親に起こしてもらって見た記憶がある。満月がまるで、10円玉のように赤く暗くなっているのが印象的だった。それ以来、月食というのは大晦日の晩におきるものだと思い込んでいた。
 月食というのは、満月のときにある条件が重なると起きる天文現象だ。毎年同じ日に見えるわけではない。地球の影の中に月が入ると、欠け際のエッジがぼんやりしたように欠けてくる。地球の影の中に月が全部入り込むと皆既月食になる、というわけだ。皆既月食になると完全に月が見えなくなるのではなく、赤く暗い姿で天空に浮かんでいる。
 地球の影は月よりもだいぶ大きいので、日食と違って広い地域で皆既月食を楽しむことができる。また、完全に欠けている時間も数十分に渡る。月が地球の影の中心に近づくほど、また地球の大気の状態、たとえば大きな火山で噴火があったというような場合、皆既月食中の月の明るさは大きく落ち込む。
 ステレオ写真を撮るようになってから初めて見た皆既月蝕は、かなり暗くなったのを覚えている。一番暗い時間帯は、双眼鏡を使わなければ見えないほどだった。このときは皆既月食の時間帯がかなり長いこともあって、ステレオで面白い写真が撮れないかと考えた。ビルの谷間から覗く皆既月食。そんなものをステレオで撮ろうと思った。
 場所は幕張新都心。大きなビルが林立しながら道路は広く、夜になると人も少なくなる。車で撮影場所を探しながら移動するにはちょうどよいと考えたのだ。被写体が遠距離になるのでハイパーステレオが最適だろうと考えた。だが、このときはステレオベースを最適にすることに失敗し(長くしすぎ)、うまく撮れなかった。さて、次のチャンスはいつだろう。

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△リアリストで撮影したので立体感に乏しい。

投稿者 J_Sekiguchi : 2010年12月30日 10:00

旅の供

 バラトン湖から北東に130km。バスに乗り、ドナウの真珠と謳われるブダペストに到着した。街の真ん中をドナウ川がゆったりと流れ、街の東西をいくつかの橋が結ぶ。橋はどれも古風だが、中でも鎖橋と呼ばれる吊橋は見事だ。石の主塔と橋台に見事な彫刻がある。和名の「鎖」の元となった「CHAIN」は、本来の意味は「首飾り」だという。
 今日はこの鎖橋の近くのホテルに泊まり、聖イシュトバーン大聖堂、三位一体広場、漁夫の砦などを見てまわるのだ。それにしても、ウィーンもブダペストも、街に特徴がある。景観とか、建物の様式いったところだけじゃなく、街の雰囲気に独特のものがあると言ったほうが良いだろうか。日本の都市というのはだいたいどこへ行っても同じ様、というのと何か根本的なところで理由は同じじゃないかと思う。つまり、街の雰囲気というのは住む人によって作られる、ということか。
 さて、三位一体広場のレストランで昼食をとったが、使われている食器がヘレンドだった。装飾を控えた普段使い風の皿だったが、日本に輸入されているもののほとんどはこのクラスだろう。やはり、道具というのは使って良さを感じたい。価格がどうとかで評価するのではなく、使ってどう感じるか。これが道具の評価になる。そう、カメラも同じ。
 というわけで大いに満足した昼食の後、漁夫の砦の周りを散歩する。ここは小高い丘になっていて、ドナウを眼下にすばらしい大パノラマを見ることができる。リアリストを持って散歩。結構楽しい。ここでも何人かに「それ、ステレオカメラだろう?」と声をかけられた。「ええ、そうですよ。とても楽しいですよ」と応える。果たして、伝わっているだろうか。
 やがて日が暮れ、ドナウに街の明かりが映える。鎖橋に明かりが灯り、ドナウにかかる首飾りのように見える。静かに夜が更けてゆく。リアリストという旅の供がいてくれたおかげで、大切なものに出会えた。さて、またどこかの街で。(終)
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△遠景だと、立体感が出ません(笑)
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投稿者 J_Sekiguchi : 2010年12月27日 10:00

感謝のしるし

 太陽はまだ欠けている。ちょっと太い三日月のような形をしているが、周囲は普段の日中の風景を取り戻している。大きな感動が過ぎ、体の力が抜ける。この体験は、どのような記録機材を駆使しても再現することは不可能だろう。コロナの濃淡の全てを記録できる装置はなく、ましてや写真プリントではコロナやプロミネンスの力強い輝きを再現できない。
 そんなことを考えながら、バラトン湖畔でビールを片手に余韻に耽る。写真撮影は少しだけした。でも、撮影結果が失敗に終わってもいい。自分の眼で見て、体で感じたものは決してカメラでは記録できないのだ。カメラは目では見えないものも捕らえることができるが、残念ながら目で見える全てのものを記録できるわけでもないのだ。
 この場所にいた、全ての人が感動に浸っている。皆、幸せそうな表情をしている。あちこちで祝杯があがる。感動のあまり、バラトン湖に飛び込む人までいるではないか。だんだんと力が抜けて、腹が減ってきたことに気付き、ホテルのスタッフが用意してくれた軽食とワインを貰う。彼らに礼を言い、彼らをステレオで撮影させて欲しいと願い出た。
 するとスタッフのチーフと思しき人物が、写真を送って欲しいという。彼の住所をメモし、必ず送ると約束した。(後日談。帰国してからステレオスライドに仕上げ、ビュアーと共に彼の元に送ったときのこと。彼は約束したのが立体写真だとは思っていなかったらしい。ずいぶんと喜んでもらえたようで、シーズンオフで家族と共にブダペストに引き上げた先から返事が届いた。)
 さて、皆既日食を終え、明後日は帰路につく。途中、ドナウの真珠とも謳われるハンガリーの首都・ブダペストに立ち寄り、最後の観光を楽しむ予定である。フィルムはまだまだたくさん残っている。ステレオ・リアリストも快調に働いてくれている。古い都に古いカメラがマッチして、いい写真が撮れるに違いない。(つづく)

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投稿者 J_Sekiguchi : 2010年12月23日 10:00 | コメント (2)

闇に光る太陽

 皆既日食当日。朝を迎えてあまり天候が良くない。前日まで観光三昧で、結構楽しんでいたせいもあって、僕はぐっすり寝ていたのだが。天気が気になる人はあまりよく寝られなかったらしい。深夜から天候が急変し、明け方前にはにわか雨と雷があったようなのだ。こんな場面に遭遇したら気が気ではないであろう。気にしたって晴れるわけではないのだが。
 観測場所は湖に面したホテルの庭だ。芝生になっていて、視界が開けている。場所としては申し分ない。天候は徐々に回復し、雲がだんだん薄くなってきている。これなら期待が持てそうだ。皆既日食の時間帯はランチタイムと重なるので、ホテルのスタッフがいつでも昼食を取れるよう、庭に用意をしてくれている。太陽が欠け始める。ここからが長い。
 太陽が徐々に細くなってゆく。月が覆いかぶさるように太陽を隠してゆく。辺りがだんだんと暗くなり、気温も少し低下してきている感じがする。待ちわびて、まもなく月が完全に太陽を隠す時がきた。まだ少し、薄い雲が流れている。
 細く細く、もう点のように小さくなった太陽だが、それでも強烈な光を放っている。そして完全に月が覆いかぶさるほんの少し前、黒い太陽の周りにコロナが輝きだした。周りから歓声が沸き起こる。薄い雲を通してはいるが、コロナの輝きは意外にも力強い。活動の極大期を迎えた太陽のコロナは大きく輝いている。記憶に刻むよう、じっと見つめる。
 黒い太陽の縁にピンク色の輝きが見えた。プロミネンスである。肉眼で見るプロミネンスは赤よりも明るく、美しい。ふと辺りを見回すと、周囲は闇に包まれ、月明かり程度のコロナの光りだけで照らされている。地平線の彼方がオレンジ色に輝いている。黒い太陽の周りにはいくつかの惑星と恒星が輝いている。神が創った奇跡の光景に出会えたことに感謝する。
 程なくして、太陽は力強い輝きを取り戻し始めた。旅の大きな目的の一つが今、終わりを迎えたのだ。(つづく)
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投稿者 J_Sekiguchi : 2010年12月20日 10:00

晴れを祈りつつ観光

 皆既日食は明日。特に準備をすることもなく、また観光。今日はハンガリー国王、アンドラーシュ1世が埋葬されている修道院教会を訪れた。小さな建物であるが、内部は神聖な空気で満たされている。こういった古い寺院を見て回るというのもいいものだ。至る所に宗教画が描かれている。時間が許すならば、ずっと眺めていたい、そんな気分になってくる。
 明日の皆既日食が無事晴れるよう、できることなら力添えして欲しいと地下に眠る国王にお願いし、教会を後にする。後で思えば、国王も困惑しただろう。数百年の眠りを妨げられ、見ず知らずの東洋人に天気をどうにかしてくれと言われても。
 この後、有名なヘレンド窯の見学に行く。陶磁器の工場である。ヘレンドの陶磁器は繊細で美しい装飾がされているが、全て手書きなのである。多くの窯が大量生産に向くプリントによる絵付けを増やす中、頑なに手書きによる絵付けを続け、マイスターの育成に力を注いでいる。日本ではごく一部の製品しか入ってこないが、美術的評価の高いものが多くある。
 トルコの日食ツアーを選ばずにバラトン湖畔のツアーを選択したのは、ヘレンド窯をこの眼で見ることができるということが大きかった。工場にはミュージアムが併設されており、購入も可能。あれこれ見て回り、どれか一つ買おうということになったのだが・・・リアリストやら露出計やらを買ったので予算が少ない。これは困った。ここでしか買えないのに。
 結局、ハンガリーの民族衣装シリーズのフィギュアの中から「花嫁」をムリしてクレジットカードで購入。日本ではなかなか手に入らない。だが、「花婿」もいないと可愛そうだ、ということも気になっていた。後日談だが、だいぶ後になってebayで「花嫁」に相応しい「花婿」を探して購入。今は仲良く並んで飾ってある。ebayは便利なものである。
 さて、明日は皆既日食が起きる。今のところ晴れてはいるが、明日の天候はどうか。気になるところである。(つづく)
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投稿者 J_Sekiguchi : 2010年12月16日 10:00

ワインフェスティバル

 ちょっと荒い運転のバスの旅を楽しみ、バラトン湖の畔にあるホテルに到着した。この時期、ハンガリーでF1グランプリが開催されていると聞いたのだが、まさかバスの速さはF1の影響か。それはさておき、湖畔の周りは観光客でいっぱいだ。バラトン湖は大きな湖で、海から遠い内陸にあって、夏の避暑地として毎年賑わうのだという。
 湖畔に沿った通りでは、ワインフェスティバルが開かれていた。道の片側に屋台風のワインバーがたくさん並んでいる。この辺りはワインの産地で、特に貴腐ワインのトカイは有名だ。早速、リアリストを持って散歩に出かける。
 カメラを持って気ままな撮影散歩をするなら一人がいい。もう自分は「あちこち見て回るモード」にスイッチが切り替わっている。屋台で小さなグラスのワインを飲み回りながらの撮影だ。ワインがうまい。気分が良くなって、店の娘に声をかけて撮影させてもらう。恥ずかしそうに笑うその姿をハイ、パチリ。次の店でまた飲んで、ハイ、パチリ。
 いくらグラスが小さいとはいえ、赤、白、トカイ、また赤からはじまって・・・これでは酔いつぶれてしまう。撮影のための飲み歩きは早々にやめて、湖畔を散歩する。真夏なのに蒸し暑さがない。日本と違って、湿度が低く過ごしやすい。湖からの風が心地よい。湖畔にヨットが留めてあり、水鳥が群れ、少年たちが釣りをしている。その風景を撮る。
 驚いたのは、通りを歩いているだけで「Oh!ステレオ」と何度か声をかけられた。日本よりステレオカメラの認知度が高いようである。で、声をかけてくれた人を記念にハイ、パチリ。僕はこういった旅行の写真には通行人であっても積極的にフレームに入れる。だけど、カメラを向けると「ああ、邪魔なのね」という感じで向こうからフレームアウトしてしまうことが多い。だからこういうときは「あなたは画面に入っていませんよ」というオーラを出して撮るのだ。(つづく)

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投稿者 J_Sekiguchi : 2010年12月13日 10:00

貴族の館

 ウィーンの街は美しい。音楽の都とも称されるこの街は、決して華美ではないが、歴史に裏付けされた重厚な雰囲気が感じられる。通りに面する建物はどれも古い。歴史を感じさせるものを街中で発見するたび、シャッターを切る。
 ヨーロッパの格式ある建造物。中でも格別なのがシェーンブルン宮殿だろう。18世紀の建造物、マリー・アントワネットとか、モーツアルトの時代のものといえばわかりやすいだろうか。巨大で豪華な宮殿と、あまりにも広大な庭園。宮殿の正面には大きな花壇がいくつも並び、生垣で囲まれている。宮殿のテラスに立つと、美しいパノラマが広がる。
 これだけの庭園を維持するため、たくさんの庭師が働いているのだという。周囲の生垣はきれいにカットされ、まるで迷路のようだ。訪れた時にも、庭師が手入れをしていた。花壇も季節によっていろいろな花に植え替えられるのだという。
 次に、やはり同時代に造られたベルヴェデーレ宮殿を見学する。ここの庭園もきれいに手入れがされている。かの昔、これらの宮殿で暮らした人々の営みはどのようなものであったか。それはどのような書物であれ、想像の域を越え、おとぎ話のごとく聞こえる。当時のステレオ映像でもあればより現実味を帯びた出来事として体感できるのだろうが。
 さて、ウィーンは中継地点でしかない。のんびりしている時間はない。観光を早々に切り上げ、ここからはバスに乗ってハンガリー・バラトン湖に向けて南下する。ウィーンの町から南南東に向けて約200km。途中国境を越えるが、思ったよりスムーズに検問をパスする。ハンガリーは過去、共産圏であった。国境の検問はもっと厳しいかと思っていたのだ。
 国境を越え、バスはひたすらハンガリーの片田舎を走る。単調だが、見慣れない風景が続く。それにしてもこのバス、飛ばすじゃないか。大きな図体で次々に遅い車を追い抜いてゆく。日本のバスとは大違い。早く着くかな? (つづく)

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投稿者 J_Sekiguchi : 2010年12月09日 10:00

リアリストを持って西へ

 欧州旅行へは、リアリストを持ってゆくと決めた。当時の相場価格は4万円前後。既に旅行代金を支払ったので、予算の余裕はない。いくつか中古カメラ店を回ると、格安のリアリストがあった。相場を大きく下回る価格で入手できたのは幸いだった。本当にうまく撮影できるか不安を抱えながらもこれを購入したのだが、その顛末は前に紹介したとおり。
 さて、購入したリアリストでテスト撮影だ。単体露出計が必要だったから、これも格安で中古のスタジオデラックスを買った。今まで、反射光式のスポットメータばかり使ってきたが、入射光式の露出計というのは実に使いやすい。テスト撮影の結果は露出もバッチリ適正で、マウントしたものを簡易ビュアーで覗くと、初めてビュアーで見た立体写真の感動がよみがえる。
 これで撮影機材は揃った。フィルムは多めに持ってゆこう。今回の旅行は、ロンドン・ヒースロー空港乗継でオーストリア・ウィーンに飛び、あとは観光をしながら陸路で国境を越えてハンガリーに入る予定だ。空港のX線検査が重なるので、念のため鉛入りのバッグを使う。フィルムはかさばらないよう、箱とケースを捨てて、小さなビニール袋に入れ替えてバッグに詰めた。30本のフィルムを手荷物にするための工夫だ。預け入れの荷物に入れたりしたら、より強力なX線でダメージを受ける。
 こうして、リアリストと露出計、フィルムの3点セットがいつも鞄の中にあるというスタイルができあがった。旅の間中、僕とリアリストはいつも一緒になった。撮影することが楽しい。初めてカメラを手にしたときの、撮影することが楽しかった頃の気持ちと同じだ。いつの間にか、日食を見に行く旅行が、ステレオ写真を撮りに行くという旅行に変わっていた。
 さて、長い長い空の旅の末、ようやく夜のウィーンに到着した。既に街はひっそりと静まりかえっている。外を見ても、墨を流したような暗闇に包まれた街角しか見えない。今日はもう寝るだけ。明日からが楽しみだ。(つづく)

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投稿者 J_Sekiguchi : 2010年12月06日 10:00

昔の思い出

 今から溯ること約10年、リアリストを手にして欧州行きの飛行機に乗った。行き先はハンガリーにあるバラトン湖。ヨーロッパを縦断して起こる皆既日食を見るためである。20世紀最後の皆既日食、1999年8月のことだった。
 皆既日食を見ることのできる地域というのは、ごく限られた場所になる。地図の上にサインペンで線を引いたような細い地域、ここに行くのである。太陽が南中する前後に皆既日食が起こる場所が最もよいので、ハンガリーやトルコへのツアーが旅行会社各社で用意されていた。問題は、その土地の天候である。8月のその土地は、どの程度晴れるのか。
 僕は天候が悪くて日食を見ることができなかった場合に備え、観光が充実しているハンガリー行きを選んだ。それでもカメラを持ってゆくことはどうでもよかった。皆既日食のコロナは自分の眼で見るに限る、と思っていたし、写真を撮ること自体にちょっとあきていたのだ。せいぜい、いつものマキナ67と数本のフィルムがあればいいだろう、と。
 旅行の申し込みをする日を前後して、ふと持っていたカメラ雑誌を手に取った。ステレオカメラか・・・このとき、僕はステレオカメラについてはほとんど知識がなかった。撮影に失敗しないよう一度に2枚を撮るものだ、昔のフィルムは質が悪かったんだろうなんて勝手な想像を膨らませていたこともある・・・立体写真が撮れるカメラか。面白いかもしれない。
 どんなものだろうと少し興味が涌いてきたので、とりあえず中古カメラ店に行ってみる。いくつかあるじゃないか。珍しいものだと思っていたのだが。ふと見ると、簡単なビュアーにスライドをセットしたものが置いてあった。これを覗いてみて、自分の感覚が大きく変わった。これだ。ハンガリーに持ってゆくカメラはこれがいい。いや、これで撮影旅行をするのだ。当初の皆既日食を見に行く、という目的が、ほんの少し変わってゆく感じがした。(つづく)
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投稿者 J_Sekiguchi : 2010年12月02日 10:00