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砂丘の花
人類未踏の地。そんなものが現代のこの地球上にあるのだろうか。そんなことをぼんやり考えることがある。世界一高い山の頂上も、世界一深い海溝にも人類は到達した。ジャングルの中だってTVの映像としてお茶の間に届けられる時代だ。国土が狭い日本ならなおさら、誰も足を踏み入れたことのない土地などあるはずがない。
人間は新しい土地を見つけ、開拓し、風景を変えてゆく。環境的に厳しい場所でない限り、どこにでも人間が作った痕跡を見つけることができる。大自然を写した写真集を見ても人間が作った道があり、人間が植樹した森が広がっている。もし、まだ誰も足を踏み入れていない場所があったとしたら。そこはどんな風景なんだろう。
日本の国土から考えれば、そんな場所は原生林の奥のほうだけだろう。でも、僕が見たいのは森の中の景色ではない。広大な平原で、誰も住んでいない手付かずの土地があったとしたら・・・そんな場所はどこかの惑星に行かなければ見ることができないのだろう。ああ、そうなんだ。僕はどこか別の世界の「生命のある惑星」の風景が見たいのだ。
そんなことをぼんやり思い出したりしていたある日。どこの場所かは教えてあげられないが、広大な手付かずの砂丘に行くチャンスがあった。その場所はまさにどこかの惑星の風景を思わせるものだった。ここはほとんど誰も足を踏み入れることがない。長い海岸線沿いに大きな砂丘が広がり、誰でも行けそうな場所。でも誰も行けない。そういう場所なのだ。
砂丘一面に花が咲き、そこには誰の足跡も、誰かが作った道もない。天候のせいもあって、一面不思議な雰囲気に包まれている。もしも地球以外に似たような惑星があり、そこには知的生物が住んでいないのだとしたら。その惑星の海岸には、こんな風景が広がっているのかもしれない。僕はしばらくのあいだ、ステレオカメラを携えてこの星を探検した。
投稿者 sekiguchi : 2009年11月28日 13:04
さようなら0系
去年の11月に0系新幹線が退役した。ついこのあいだのことのように思っていたが、時間が経つのは早いものだ。もう1年前の事になるのだ。僕の世代は、新幹線でイメージするのがどうしても0系になる。昭和39年に開業したときのスタイルから長く変わらず、僕たちが成長して修学旅行で乗ったのも0系だった。一番馴染みが深い。
それがなくなっちゃうと聞いたら急にさびしくなっちゃったのだ。山陽新幹線でこだまとして運行していたが、それももうすぐおしまいです。そう聞くと見に行かずにはいられない。さっそく運行ダイヤを調べ、リアリストをお供に駅に行った。
駅に到着し、入場券を購入して目的のホームに向かう。いちばんの見所は車輌の先頭だ。行き先表示を良く確かめて、先頭車両が停止する側のホームの端を目指す。もう既に、何人かの人が集まっている。最終運転の日までまだあるというのに、僕と同じような目的の人がいる。新幹線の到着時刻が近づくと、だんだんと人が増えてくる。到着直前の時刻になるとさらに増えている。事故が起きなければいいのだが、と心配になるほどの人数だ。心配をよそに、0系は無事到着した。
集まった人達に鉄道マニアという雰囲気はない。僕と同年代の人や、子供をつれて見に来た人が多い。みんな0系に愛着があるのだろう。愛嬌のある団子鼻といっしょに記念撮影をする人達でいっぱいだ。ここは終着駅ではないから、しばらく停車した後次の駅に向かって出発する。駅員が事故の起きないよう、見学者に安全誘導をし始め、出発の合図が鳴る。
赤いテールランプの残像を残し、0系は次の駅へと旅立ってしまった。それから何日かして、TVのニュースで最終運転の様子を放送していた。ああ、ほんとうになくなっちゃったとこの時実感した。どうせなら、見るだけじゃなくてもう一回乗っておいたらよかったかな、とも思ったけど、鉄道マニアというわけではない。最後に会うことが出来た。これで十分満足だ。
投稿者 sekiguchi : 2009年11月26日 18:01
皆既日食ツアー
アフリカの話をもう少し。僕が行った日食旅行は個人で計画して行けるものではない。旅行代理店が天文の知識のあるスタッフと一緒に何年も前から計画を立てているのだ。皆既日食を見ることのできる日時、場所はきっちり決まっていて、人間の都合で変えることはできない。そこが安全なのか、天候はどの程度良いのか、どのように移動するのかなどを綿密に調べて計画を立てている。最近はだいぶ身近に感じられる皆既日食ツアーも、こうした地道な努力の上に成り立っている。
そんなわけで、一般の海外旅行に比べると割高である。割高であるからこそ、運悪く悪天候で日食が見られなかったときの保険を考えておかねばならない。ホントウに保険をかけるわけじゃない。日食以外の観光が充実しているかとか、オプショナルツアーの選択ができるかなどで、数あるツアーの中から自分が満足できそうなものを選ぶというわけだ。
僕が参加したツアーは最高だった。目的地はザンビアのルサカ。普通では行かない場所だ。そこまで数泊しながら移動するのだが、サファリパークやビクトリア大瀑布を見て回る。そこで宿泊したホテルがすごくイイ。どれも観光地として整備さているホテルを使ったのだが、ゲストが楽しめるよう配慮されている。移動の拠点とするにはもったいないぐらいなのだ。
ビクトリア大瀑布の近くで宿泊したときはホテルの庭園で昼食を取ったのだが、乾いたサバンナの風が心地よく、手入れが行き届いた庭園はそこにいるだけで癒される。料理はバイキング形式で供されたのだが、どの料理もすばらしくおいしかった。ふと気がつくとフルーツに虫が群れている。一瞬ぎょっとしたのだが、よく見るとミツバチだった。シロップを懸命に集めている。なんとも不思議な光景だった。ハチの食事の後に、フルーツは我々がおいしく頂いた。
皆既日食を見に行くのでなくてもいいから、もう一度行ってみたい。僕がかけた保険にはそう思わせる効果もあったのだ。
☆アフリカ旅行記は、また改めて続きをご紹介します☆
投稿者 sekiguchi : 2009年11月23日 21:02
日食とお天気
さて、日食の話をもう少し。今年の7月に日本各地で見られた部分日食は皆さんの記憶にもまだ新しいことだろう。日食の当日、僕の住む町では天候が悪く、薄い雲が朝から広がっていた。こういう天文現象はお天気次第だ。だが、この日はかえってこれが幸いした。減光フィルターを使わなくても大きく欠けた太陽を見ることができたのだ。
何より感動したのは、薄暗くなった空の中、僅かの間だが空一面に広がる薄雲が幻想的に輝いているではないか。なぜか、地球が宇宙の中に浮かんでいる存在なのだと感じる風景だった。こういう風景は写真に撮るのが難しい。光の微妙な諧調は自分の眼で見て、記憶にしっかりと焼き付けるのがいちばんいい。僕はこのとき、写真を撮らなかった。
このときは天候が悪いにもかかわらず、それが幸いしたレアなケース。しかし、皆既日食を見るならば別である。お天気は最重要項目になる。確実に晴れてもらわねばならぬ。晴れでもわずかな雲が太陽にかかるだけで台無しである。
そういうわけで僕が2回目に行った皆既日食の場所は、乾季のアフリカ、サバンナの大地、ザンビアにしたのだ。現地に着くと雲が一つもない。深いブルーが頭上に広がっている。空気がどこまでも澄んでいる。夕日はぎらぎらと、強い光を放ちながら地平線に沈んでゆく。アフリカの雄大な大地とマッチして、ここにいるだけで気持ちが大きくなる。そういうわけで、僕は皆既日食をお天気の心配なく堪能したわけだが、ホントウに晴れるかは行ってみないとわからない。これってやっぱり、賭けだなぁ。
皆既日食を堪能した晩は現地でパーティが開かれた。現地の人がこの日のために特大のパンを焼いてくれていた。アフリカの大地の形をしている。うれしくなって、シェフと支配人を一緒にステレオ撮影した。支配人が写真を送って欲しいという。帰国後、早速ステレオビュアーと共に郵送したのだが。郵便事情が悪いのだろう。届かずに戻ってきてしまった。
投稿者 sekiguchi : 2009年11月19日 23:21
秋の一コマ
最近、秋が短くなっているような気がする。夏の暑い盛りから一気に冬に突入するようなずいぶんと乱暴な気候変化になっているのではないか。気のせいかな・・・。実りの秋とも言うが、木々が赤く染まり、木の実が大きくなり、草木の緑が黄色く変わってゆく変化を楽しむ。そんな日々がだんだんと短くなっているような気がするんだけど。気のせいかな・・・。
マクロカメラの活躍する季節は春から秋にかけてで、冬になると稼働率がガクンと落ちる。ストックしているフィルムの期限切れが迫って来るので、いつも秋になると慌てて古い順にフィルムを消費する羽目になる。とはいえ、この季節はフィールドに出るといろいろと被写体も多い。まさに実りの秋であり、じっくり観察するといろいろなものに出会うことができる。昆虫たちの姿がどんどんと減る中、ミツバチやハナアブたちは少ない花に群がって競って蜜を吸いに来る。ミツバチなど、冬を越すための食料集めに必死だ。陽だまりが暖かい時間帯は花の周りに沢山の羽音が響く。
他には植物たちがいっせいに実を付ける。種で冬を越し、春にまた新しい芽を出すためだ。種といっても小さな種。これが種なの?というものも、拡大してみると種なんである。たとえばススキ。ススキの穂は種の集合だ。種に細かい毛が生えていて、風に乗って遠くまで飛ぶのである。これをステレオ撮影すると面白い。普通の平面写真ではどうということはないが、立体になると細かい毛の一つ一つが独立した存在に見えるのだ。マクロステレオの醍醐味はこういうところにある。
さてさて、マクロステレオの季節もそろそろ終わり。これから寒い寒い冬がやってくる。小さな生き物たちはひっそりとどこかに隠れてしまうだろう。冬のあいだも何かいい被写体はないだろうか。霜柱なんかが題材としては面白いのだが。最近は昔ほど霜柱を見なくなったような気がする。気のせいかな・・・。
投稿者 sekiguchi : 2009年11月13日 23:45
酉の市
11月の酉の日になると鷲神社でお祭りが開かれる。飾り熊手の露店が並ぶ酉の市である。このお祭り、全国的なものかと思ったら関東地方特有のものらしい。だが、関東以外でも熊手祭りとして開かれているものもあるようだ。このお祭りの季節が訪れると、もうすぐ年末だなぁ、と思う。酉の日を挟んで立冬があり、日が暮れるのが早いと実感する季節でもある。一の酉に浅草の鷲明神に出かけてみると、多くの露店が並び、夕暮れから電灯に照らされた飾り熊手が美しい。
このお祭り、浅草の鷲明神では特に多くの露天商が並ぶが、その他の鷲神社でもきれいな熊手が並べられる。幼少のころ父に連れられて、近所の神社で小さな熊手を買ってもらった記憶がよみがえる。懐かしさから一つ買ってみようか・・・熊手を買うときにはいったん値切っておいて、値切った分を御祝儀として差し出すのが粋である。こんな買い方を一度やってみたいものである。だが、次の年には一回り大きなものを買わねばならない。今回はちょっと遠慮させてもらおうかな。
さて、こういう風景はステレオで残すに限る。というわけでリアリストをお供に連れてきた。白熱電球に照らされた被写体の色温度は相当に低い。タングステンフィルムやフィルターを使う方法もあるが、僕はデイライトフィルムで補助光源にストロボを使う。ただし、カメラはエクターF2.8のモデルを選択した。エクターの方が暖色系の諧調が豊かだからだ。
カメラを構えながら沢山の露店を見て回る。店によって飾りに特徴があって面白い。カメラを持って出かけると、自分が「あちこち観察するモード」になっていることに気付く。カメラを持っているときの方が散策は楽しい。
今年の11月は酉の日が2回ある。つまり、酉の市も2回。仕事を終えて日が暮れてから行っても十分に楽しめる。暦によっては酉の日が3回ある年もあるが、その年は火事が多いと言われている。まあ、そうでなくとも火の用心。
投稿者 sekiguchi : 2009年11月07日 01:27